6年間で確信した。監視と支配は紙一重。
~教師の父親に人生を乗っ取られ、自我をゼロにされた私~
前回、中学時代の悲惨な出来事を書きました。
その続きを、今の自分と向き合うために綴ります。
家でも学校でも、常に監視されていた
中学から高校まで、教師だった父親の監視の中で私は生きてきた。
家でも学校でも、どこにいるのか、誰といるのか、何をしているのか。
父親はすべてを知ろうとし、その上で「〇〇しろ」と指示を出してきた。
それは安全のための見守りではなく、明確な支配だった。
︎
今、あらためて思う。
監視と支配は、紙一重なのだと。
︎
友だちとの関係さえ、父親に決定権があった
友だちとの付き合い一つ取っても、私は自由を持っていなかった。
父親が成績が悪いと判断した相手とは、即座に関係を切らされた。
会うことも話すことも禁止され、手紙や交換日記はすべて勝手にチェックされた。
気に入らない内容があれば、その場で破り捨てられた。
誰とつき合うか、何を書くか。
そんな普通で当たり前の選択権さえ、私には与えられていなかった。
学校での滞在時間すべてが父親の支配下だった
親が自分の子を学校で教えること自体、本来は問題視されるべきかもしれない。
なのに、課外授業、縦割り授業、クラブ活動、部活。
あらゆる場面で父親は私の担当教師だった。
ゼッタイワザトダヨネ
軟式テニス部に入ったはずが、いつの間にか陸上部にも勝手に入れられ、かけ持ちを強いられた。
やりたくもない特訓、試合出場、男子ばかりのメニューを、小さな体で泣きながらこなすしかなかった。
ついていかなければ、体罰が待っているから、、、
今思うと、気持ち悪さしかない配置だった。
でも当時の私には、それが異常だとさえ気づけなかった。
自分というものが、父親によって、すでに存在していなかったから。
︎
日常的に繰り返された体罰と孤立
みんなの前で怒られるのは、いつも私だけだった。
前の授業が長引いてクラス全体が遅れたときでさえ、怒鳴られるのも蹴られるのも私一人。
「人権」という言葉は、私の中学生活には存在しなかったのである。
︎
父親が勤務先である中学に受験させた本当の理由
ただ近くに置きたいからではなかった。
監視し、支配するためだった。
今はそう確信している。
︎
外からは熱心な親にしか見えなかった
表向きは親として、教師としての指導にしか見えない。
成績のため、将来のため、生活指導のため。
そう言われてしまえば、外側からはただの熱心な親、厳しい先生で片づけられる。
でも、その中で削られ続けていたのは、私の「意思」と「選択」だった。
友だちと他愛もなく笑い合う時間も、
部活で仲間と一緒に苦しんで悩んで成長するプロセスも、
自分で勉強法を工夫し、目標達成まで頑張る喜びも、
全部、私の側から始めることは許されなかった。
「見守る」と「従わせる」の境界線は、とっくに踏み越えられていた。
体罰で黙らせる時点で、それはもう「監視」ではなく「支配」だ。
それでも外からは、ただの教育熱心として通ってしまう。
︎
監視と支配は、本当に紙一重だった
だからこそ、書いておきたい。
「監視」と「支配」は、紙一重なのだと。
Thank you for reading the article!
Please subscribe for free.





